短編小説 #2:夏の線路に沿って

夏は線路に沿って

『夏の線路に沿って』

降り注ぐ蝉時雨に負けるものかと、私は足を進める。
今日で3日連続の猛暑日だ。日陰が少ない線路沿いの道のため、女子としては日焼けが気になる。
人間にはうんざりするような暑さも、蝉には快適なのだろうか。騒々しい鳴き声からは猛々しい生命力が感じられる。少し分けてほしいくらいだ。
私の横を小学生くらいの男の子たちが虫取り網を持って追い抜いていく。高校生にもなると、子供のような空元気は湧いてこない。
祖父母の家までは歩いて約30分ほどだ。駅と駅とのちょうど中間に位置し、住宅街の線路沿線のためバスも通っていない。この凶悪な日差しと気温の中を歩いていかなくてはならない。
普段ならば祖父が車を出してくれるのだけれど、今回は家族の中で私だけが遅れて到着する日程だったため徒歩となった。やむを得ない事情とはいえ、私は別行動を取った後悔がにじむ。額の汗を拭い、少しでも日陰を求めて道の端を歩く。
「いっそ、日が暮れてから来ればよかったかな…」
でも、この辺を夜歩くのは少し怖い。
——?
何故そう思うのだろう。地元じゃないけれど、この辺は来るたびに小さい頃から兄と遊び回ってよく知っているはずなのに…。ふと、記憶に浮かび上がるものがあった。

“ここらじゃ夜の線路にゃ、ヨミワタシが出るんだぞ。日が暮れたら線路に近づいちゃダメだ”

そういえば、小さい頃に兄と一緒に祖父からそんな怪談を聞かされたっけ。あれはまだ私が小学校低学年の頃だったか。
確か、夜の線路には時々普通の電車とは違う、死者をあの世へと運ぶ電車が走っていて、その電車は悪い子供の魂の魂を食って動いているという。夜中まで遊んでいる悪い子供はヨミワタシに食われてそのまま地獄に連れて行かれる…なんていう話だった。
高校生になった今の私なら、そんなものは作り話だと笑って聞き流せるけれど当時の私はその話をすっかり信じ込んだ。祖父は近くの児童会館で読み聞かせのボランティアに参加していることもあり、語り口調がプロ並で、幼い私に恐怖を植え付けるには十分過ぎた。その後しばらくは両親と車に乗っている時でさえ、線路に近づくと泣き声をあげていたくらいだ。

なぜ祖父は、あんな話をしたのだろうか。
基本的に子供好きで、優しい人だ。児童会館でも子供達に人気があるという。そんな祖父が私をいたずらに怖がらせるような話をしたということに違和感を覚えた。
と、そこまで考えた所で自販機を見つけた。しかも日よけがついた休憩所付きだ。一も二もなく、小銭を入れてよく冷えたスポーツドリンクを取り出す。火照った体が内側から冷やされるのが気持ちいい。日陰だからかささやかに吹く風も先ほどより涼しく感じた。とりあえず、これを飲み終えるまでここで一休みしていくことにする。ふぅ。
休憩所には地域の人達のための掲示板が用意されていて、将棋や囲碁など文化系サークルの勧誘チラシや、夏祭りのお報せ、道路や線路工事のお報せなどがまばらに貼られていた。普段は気にも留めないような情報ばかりだけれど、喉を潤しつつぼんやりと眺めてしまった。

さて、そろそろ行こうか。再び炎天下に足を踏み出すのは勇気が必要だったけれど、気合いを入れて行軍を再開する。
やはり暑い。
先ほど補給した水分が早くもじんわりと背中から抜けていくのがわかった。

祖父の家までもう少しというところで、見覚えの無いものを発見した。それは普段見慣れているものよりも半分ほどの大きさの、小さな踏切だ。私が小さい頃、祖父の家の近くには踏切なんて無かった気がする。
気になって近くで見てみると小さいだけでなく、真新しい光沢を放っている。そういえば、先ほどの休憩所で見た張り紙の中に線路工事のお報せがあったっけ。あれはこの踏切のことだったようだ。ということは、最近出来たばかりなのだろう。
そこまで理解した所で、もうひとつ不思議なものを見つけた。踏切の隅に小さなお地蔵様が立っていた。踏切と同様、見た目で新しいものだとわかる。横にある石碑には何やら文字が書いてあるが、石に掘ってあるうえに達筆過ぎて読むのが難しい。しゃがんで顔を近くに寄せる。むむむ…。
「どーしたー?大丈夫かい?」
「わっ」
石碑を読むことに集中していた私は、頭上から降ってきた声にびっくりして尻餅を着いてしまった。
「いてて…」
「大丈夫かい?お嬢ちゃん」
声の主は大丈夫かと言葉を繰り返す。見ると、初老の男性が見下ろしていた。清潔感のあるシャツに麦わら帽を被った、しゃれたおじいさんだった。大丈夫です、と返事をして立ち上がる。どうやら道ばたでうずくまっているように見えた私を心配して声をかけてくれたようだった。
「こんなとこでしゃがみ込んで、何をしてたんだい?」
「あ、すみません。こんなところに新しくお地蔵さんを立ててるのが珍しく、つい何て書いてあるのかなって…」
「あぁ、それな…。ここであった事故のために立てたお地蔵さんだよ」
「事故?」
「少し前まで、この道に踏切は無くてな。見通しが良くてスピードが出る区間じゃないから昼間は大丈夫なんだが、暗くなってからはちょいと危ない道だったんだ。周りの住人はそれなりに気をつけて使ってたんだが、あるとき子供が事故にあっちまって…。その子の事があってようやくちゃんと踏切が出来たんだ。このお地蔵様はその子の供養と、俺ら大人に対する戒めだ」
私はなんと言って良いかわからず、お地蔵様に手を合わせて見知らぬ子供の冥福を祈る。自分の語彙力の無さが情けない。
「いつか、こんな事になるんじゃないかと周りみんなも薄々思ってはいたんだよ。ちゃんと踏切が出来るまで封鎖するなりすれば良かったんだ。なのに…」
その言葉の先をおじいさんは言わなかったけれど、なんと言おうとしたのかは想像がついた。この道を封鎖してしまうと、線路を渡るには随分な遠回りをしなければならない。ここに住んでいるものにとっては必要な道だったのだろう。懸念を抱きつつも、ついつい目先の便利さを優先してしまい、後回しにし続けた末の事故。
事故にあった子供の親はどれだけやりきれなかったことだろう。普段から子供に注意はしていたのだろうけれど…。
「あ…!」
そうか、そういうことだったのか。だから、祖父は。
「ん、どうしたんだい?」
「いえ、なんでもないです。お話聞かせてくれて、ありがとうございました」
おじいさんに頭を下げて、再び祖父母の家を目指す。

きっと祖父も、この踏切の事は知っていたのだろう。
幼い私は、ここに来るといつも兄と一緒に近くの空き地や公園で遊んでいた。小学校にあがり、出来た兄も一緒だったためその頃には両親も家で私たちの帰りを待つことが多くなった。
背伸びしたい年頃の私や兄が、勢い良く家を飛び出して行くのを見ていた祖父は、ふと不安になったのではないだろうか。
あの道を通って線路に入ってしまうんじゃないだろうか、と。
しかし、私たちは冒険したい年頃の子供だった。あの道は使うな、と言った所で素直に聞くとは思えない。むしろ興味を持ってしまうかもしれない。ボランティアでたくさんの子供たちと接している祖父は子供の心理にきっと敏感だった。
そこで、考えたのがあの怪談だったのではないだろうか。線路に近づけさせないことを目的とした作り話。回りくどいやり方かもしれないが、確かに効果はあった。
というか有り過ぎだろう。高校生にもなって、まだ不吉さを感じさせる怪談なんて。
「そこまで怖がらせなくてもよかったんじゃないかなぁ」
そう口に出してみたところで、涼し気に笑う祖父の顔がよぎる。
まったく、とんでもないおじいちゃんだ。まあ、全部私の妄想かもしれないけれど。
少し愉快な気持ちになって顔をあげると、ようやく祖父の家が見えてきた。