ぼくらのノブレス・オブリージュ

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どうしようもなく、不運な人というのはいるもので。

例えばそれは産まれた家庭だとか、国だとか、身近な人間関係や身体的な問題などetc…。自分に非の無いことで不利益を被ることは大小の差はあれ日常茶飯事だ。だからあまり不運に遭わないということには”(幸運を)持つ者の義務”というのが付いて回るんじゃないだろうか。義務というより役割かもしれないけど。


そういった意味で僕は幸運な人間だと思う。決定的な不運なんてものにはまだ出くわした事がない。だからこそ、たまにそうした不運にぶつかってしまった人の話しを聞くと、どうしていいかわからなくなる。

話しを聞いたからには何か力になりたいという気持ちが湧くのだけれど、現実問題出来る事は話しを聞くことくらいで、後は紋切り型の慰めの言葉くらいしか浮かばない。知ったような口を聞かないように相手の気持ちを聞くことが精一杯だ。無力な自分が情けなくなる。(本当に力になろうと思えばもっと現実的な手段があるってわかるのも情けなさに拍車をかける。深入りするのには覚悟がいて、その覚悟がない僕はチキンだ。)

何が言いたいかというと、不運に遭わなかった僕らにできることはなんだろうってこと。

せめて身近な人が不運に遭ったとき、少しでも力になれる人間になりたい。