短編小説 #1:進路

ひとわ文庫#01

『進路』

「改めて、再開を祝してかんぱーい」
「乾杯」
この河川敷に来る途中で買って来たサイダーをプシュッと開けて、缶を掲げる。残暑の空気に一瞬だけ訪れる清涼感。
こいつと会うのはかなり久しぶりなはずなのに、そんな距離感はほとんど感じない。昨日も学校で会っていたかのような気安さに少し感動する。
「はは、このやりとりもすげー懐かしいな。中谷、なんかまた背伸びた?高3にもなってまだ成長期かよ」
そう言いながらカラカラと笑うこの友人、道家雄二郎は中学の時の部活仲間だ。特に仲が良かったというわけでもないけれど、共にサッカー部のベンチを3年間温めた仲なので奇妙な親近感を抱いていた。部活なんてほどほどにテキトーに、楽しければ良しという価値観を共有していたのだ。
そんな道家に会うのは、実に2年ぶりくらいだ。中学を卒業した当初は、高校という新しい環境に馴染めずに週末になれば中学のやつらとつるんでいた。けれどそれも時間が経つごとに徐々に減り、1年の夏休みごろにはそれぞれ新しい居場所を見つけていった。まあ、みんなそういうもんだろう。
「まさかあんな所で中谷に会うとは思わなかったなー」
「それはこっちの台詞だよ道家。お前と赤本のコーナーで会うなんて」
「ありえねえよなぁ」
言葉にすると、より一層おかしさが湧いて来て2人でふきだしてしまう。こうしてげらげらと笑っているとまるで中学のころに戻ったみたいだ。特にあの頃に戻りたいわけじゃないけれど、受験という試練を前にした今では現実逃避をしたくなってしまう。
「で、あそこに居たってことは中谷も進学組なんだろ。どこ受けんの?」
「んー、K大の経済。滑り止めもいくつか受けるけど」
「へぇ、結構いいとこじゃん。相変わらず成績良いんだなぁ」
「別に。兄貴が通ってて家も近いってだけなんだけどね。将来とか言われても未だにぴんと来ねー」
そう。今は高校生活もあと少しとなる9月なのだが、俺はいまいち自分の将来を描けずにいた。高校では部活にも入らず、放課後は同じ帰宅部仲間と遊んで過ごした。学校行事にもそこそこ真面目に参加したし、彼女が出来たこともあった。勉強は生来の器用さで、可も無く不可も無く毎回平均より少し上をキープして難を逃れて来た。
楽しくなかったわけじゃない。むしろ楽しい高校生活だったと思うのだけれど、もっと他にやれたことがあるんじゃないかと今更になって思うのだ。あの日々を通して、俺には何が残っているのか。ため息を吐き出す代わりに俺は道家に問いかける。
「道家はどうなのさ。どこ受けるつもり?」
「俺はS大かな」
「へぇ、学部は?」
少し待っても返事がない。道家は思いっきり目線を逸らしてこっちを見ないようにしていた。
「おい、なんだよどうした」
「…笑うなよ?…看護学部だ」
「は?」
笑うどころか、予想外過ぎてリアクションが取れなかった。看護ってナース?白衣の天使?こいつが?ひと息遅れておかしさがこみ上げる。
「っふ、はは。似合わな過ぎだろ。どうしたんだよお前」
「あー、うっせーな。わかってんだよ似合わないことくらい。だから言いたくなかったんだ」
ひとしきり下らないことでからかって笑ってやると、どうして道家がそんな進路にしたのかが気になってきた。少なくとも中学のころのこいつはそんな殊勝な職業を目指すようなやつじゃなかった。
「で、なんでまたそんな進路にしたわけ?」
「笑ったやつには教えねー」
「ごめんごめん。悪かったって。今度は真面目に聞くからさ」
様子を伺っていると道家が諦めたように溜め息をついた。顔を向こう側の河川敷に向けて、河川敷よりもっと遠くにある何かを見るかのような表情に一瞬はっとした。道化が言葉を吐き出す。
「…看護っていうか、なりたいのは介護士なんだ。俺が放送部に入ったのは話したっけか?部活の大会でドキュメンタリー番組とか作るんだけど、それで学校の近くにある老人ホームの取材してさ。働いてる人達やじいさんばあさんに話しを聞くうちに、なんか良いなって。そりゃボケてめんどくさい人達も居るしキツいこともたくさんあるけどさ、人の役に立つってこういうことなんだなって妙に納得させられて」
誰だ、これ。さっきまで馬鹿話で盛り上がってた旧友はどこに行ったのだろう。聞きたいと思ったのは俺なのに、聞かなきゃよかったと後悔し始めていた。
「俺、割とじいちゃんっ子でさ。小さい頃とか良く遊んでもらってたから、じいさんばあさん嫌いじゃないし。知っての通り夢なんかも別になかったからな。それなら確実に人の役に立てることした方が良いんじゃないかってね。ま、こんなつまんない理由だよ。受かるかどうかもわかんねーしなー」
「…全然つまんない理由じゃねーじゃん」
あの道家がそんな事を考えているなんて。さっきは感じなかった距離感を今はものすごい勢いで感じている。地球の裏側まで行ってしまいそうだ。恥ずかしさと情けなさのせいで、段々ムカムカしてくる。勝手に大人になってんじゃねーよ。
「介護なんてめっちゃ気ぃ使う仕事、道家にやれんのかよ」
何を言ってるんだ俺は。道家が気を使える奴なんて事は中学のころとっくに知っている。万年ベンチでも腐らず他のやつにまで巻き込んで応援席を盛り上げてきたのは他ならぬ道家だった。
「ま、そこは中谷を参考にさせてもらおうかなぁ」
「は?…なんで俺なんか」
「ほら俺部活の奴らに苗字がドウケだから”ピエロ、ピエロ”って呼ばれてたじゃん。あれ、結構嫌でさ。何度かやめてくれって言ったことあるんだよ。で、そのとき実際にやめてくれた奴って中谷だけだったんだよね。そんときから、良い奴ってこういう奴を言うんだなって思ってた」
そんな、そんなこと覚えてねーよ。多分俺はそんなにちゃんと考えてたわけじゃない。昔の俺が何も考えてなかったことくらい今の俺が一番良く分かる。
照れと恥ずかしさを隠すために俺は立ち上がってぬるくなったサイダーを一気にあおる。残暑の空気は容赦なく俺に熱を与え続けてくる。
「あーぁ!なんだかなー!そろそろ行こうぜ、暑くて仕方ねー」
「確かに。久々にゲーセンでも行くか」
「おい、大そうな目標を語ったあとにゲーセンかよ。お前は勉強しろ勉強」
「息抜きも必要だって」
「ったく」

負けられない。
将来とかなんてこれっぽっちもわからないけれど、ただ負けられないという思いだけがこみ上げる。
旧友に?自分に?答えは出ない。だけどその気持ちはこれからの原動力になる。
そんな気がした。