やりたい事より、なりたい自分を考える【後編】

ひとわ写真

2.“やりたい事”なんて結構変わっていく

学生のころは、やりたい事を見つけたらそれに向かって突っ走って夢を掴むのが理想の生き方だと思ってました。
だけど最近は、考え方が変わってきた。どう変わったかというと、

やりたい事は、その時その時で変わっていく。
んで、変わっていって良いんだってこと。

そう、気付かせてくれたのは以前帰省したとき父親に言われたひと言でした。
なんとなく仕事の近況や新生活について2人で話している時に、僕がちらっと将来的には地元に帰ってやりたい事がある、という事を漏らした時に、つい照れもあって
「今やってる事と全然違うし、(大学の頃メインだった)映像関係とも違うことなんだけどね」
なんて、ころころやりたい事の変わる自分が恥ずかしいというニュアンスの事を言ったんです。それに対して父はこう返してきました。
「やりたい事なんて今まで何回も変わってるしょ、別に良いんだよそれで」
最初に書いたとおり、それまで僕には“やりたい事”をひとつ決めたらそれを突き詰めるのがカッコいいというか、理想みたいな所があったんですが、このひと言で目が覚めました。あぁ、それって肯定しても良い事だったんだなぁと。

独身男の見てる景色と、2児の父親が見てる景色は違うと思うし、
高校生が思うことと、50代が思うことは違う。

その時々で、やりたい事はどれも本音で本当でしょう。ただ、人は環境や年齢に気持ちを左右されやすい生き物です。
そう気付いた時、「やりたい事」を核にした生き方の“危うさ”のようなものに気付きました。
そんな風に、その時々で変わるかもしれないコトを主軸にした生き方で良いのかなって。

そこで前編に書いたように、“なりたい自分”を核に生きて行ったほうがいいんじゃないかなーと思ったわけです。
なりたい自分もなかなか見つからないかもしれないから、なりたくない自分にならないように生きるでも良いと思います。

こういう自分でありたいっていう気持ちは、やりたい事と違ってそうそう簡単に変わるものじゃないのでは、と。
“やりたい事”が変わる時は、前のやりたい事とは全く違ったものになるかもしれない。
けれど“なりたい自分”は変わることがあっても、それは全くの別物ではなく以前なりたかった自分の、その先にある姿という事になるのではないでしょうか。

“やりたい事”は変わっても良い。
だからこそ、生き方としては“なりたい自分”を考えておくといざという時の指針になるかもしれません。

さて、前編後編と長くなってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました!
どなたか1人でも、どこかの誰かの参考になれたら良いなと思います。